熊本県水俣市 協立クリニックは、水俣病の診断・治療・リハビリ、神経内科、精神科、内科を専門としています。
世界的に有名な水俣病ですが、原因企業であるチッソも行政も、メチル水銀にかかわる環境調査や健康調査を十分にせず、その実態もメチル水銀の健康障害に関する医学情報なども、地域住民や国民に正しく伝えてきておりません。
そのため水俣病や水俣病患者に関する誤った情報が放置され、多くの水俣病患者・住民が差別を受けてきました。
この地域環境のなか水俣病であること隠してきた方も数多くおられます。また、自ら健康障害をもちながら、それをメチル水銀による健康障害と気付くことができなかった人々も少なくありません。特に過去水俣周辺地域に居住され、都会など他の地域に転居された方々は、情報が少なく、今でも我慢されている方々、病気の原因に気づいておられない方々もおられます。水俣病は過去のものではないのです。
水俣病は、企業だけでなく、行政、専門家がそれぞれの責任を問われるべき問題です。現在、国内では食品、住居、鉄道事故等、私たち国民の健康と命に対する企業や行政、専門家の姿勢が問われる事件が起こり続けています。水俣病はこれらの諸問題の原点でもあり、汚染地域住民だけの問題ではないのです。このHP開設後2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生は、水俣病の教訓が生かされなかったことと無関係ではありません。
2005年10月提訴されたノーモア・ミナマタ訴訟は、2011年3月和解となりました。これまで未認定患者を患者と認めてこなかった政府が、原告および水俣病特措法での救済患者を水俣病被害者とし、事実上水俣病患者と認めました。(「水俣病患者」が公害健康被害補償法上の法律用語となるため、水俣病特措法上は「水俣病被害者」という用語を使用しています。)
ノーモア・ミナマタ訴訟和解前の2009年7月8日、患者救済条件を曖昧にしたままチッソ分社化のみを具体化した水俣病特措法が成立しました。これに対して同年9月20~21日におこなわれた、不知火海沿岸大検診は、水俣病患者が今なお数多く取り残されていることを明らかにし2010年3月15日熊本地方裁判所は和解所見を提示しました。解決の条件として原告側の所見として共通診断書の採用が示され、原告・被告両者の指定する専門家等の参加する第三者委員会で救済該当者が決定され、2011年3月熊本(25日)・東京(24日)・近畿訴訟(28日)の和解が成立しました。
この裁判の原告以外の住民は、水俣病特措法で救済されていくことになりました。水俣病特措法は、新たに5万6千名以上のより広い救済に道を開いたわけですが、同時に同じ患者でありながら、出生時期や居住条件によって切り捨てられ、特措法自体も2012年7月末で締め切られる限界がありました。その状況の中で、2013年6月20日、ノーモア・ミナマタ訴訟が提訴されることになりましたが、行政が水俣病の全貌を明らかにする調査を行うことなしに、水俣病は根本的に解決されえないことを示しています。
現代の医学の発展のスピードには目を見張るものがあります。どの疾患分野であれ、新たな疾患、病態、治療について、多くの医師により膨大なデータが収集され、最善の診断と治療方法が検討され、雑誌などにも発表され教科書も書き換えられていきます。
しかし公式確認から60年以上経過した今でさえ、水俣病に関する情報は正しく伝えられておりません。メチル水銀中毒としては、第二次世界大戦前に職業病としての発生に関する研究があったとはいえ、環境汚染を通じての大規模な発生は、それまで世界のどこにもありませんでした。本来は水俣病が公式の確認後、新たな疾患および病態の発生として、まず被害拡大を防止し、汚染地域全体の実態調査や病態の解明がなされ、診断・治療技術の発展と補償がされ、結果として同種の環境汚染被害の再発防止がはかられる。この手順が取られるべきでしたが、このような手段が講じられてきませんでした。
水俣病公式確認当時を含め、初期の水俣病に関与した医学者が重症例などを確認後、行政機構に取り込まれていく中、当然なされるべき対策がストップしました。また、水俣病の実態を明らかにしようとした熊本大学の水俣病第二次研究班の医師らによる1972~73年の積極的な調査研究も結果的に抑えこまれ、その流れの中で、特に大学などでは水俣病の研究はタブー視されていきました。メチル水銀の曝露を受けた人々が数十万人存在してきたにもかかわらず、水俣病の研究をおこなってきた医師は数えるほどしかいないのです。
それだけでなく、一部の「専門家」が、国の水俣病診断基準である、所謂「昭和52年判断条件」に、データや医学的検討に基づかないお墨付きを与えてきたため、2,000名余りの認定患者以外は水俣病ではない、即ち「メチル水銀による健康影響は認められない」とされてきたのです。一般の医学雑誌や教科書も、それを前提として書かれています。
ですから、地域の臨床家を含め、日本全国の医師、医療従事者に水俣病についての真実の情報が伝わりませんでした。水俣病は脳が障害を受ける疾患ですから、本来は神経内科疾患なのですが、行政とかかわり「昭和52年判断条件」を支持してきた医師の多くが神経内科医で、学会の重鎮等であったため、神経内科医の大半は、水俣病の知識も診療経験も持ち合わせず、世界的に問題になっているメチル水銀の人体影響についても知る機会がないという、皮肉な状況になっているのです。
人間の脳細胞の数は140億個といわれています。劇症水俣病の最重症患者の脳は肉眼でもわかる程に破壊されて泡沫状組織になっていましたが、それはごく一部の症例であり、多くの患者や住民は、より軽症で慢性的な経過をたどり、多かれ少なかれ中枢神経の可塑性が保たれており、障害をもちつつも、例えば記憶や学習等の能力が一定程度保たれて生活をしているのです。例えば、140億個のニューロンの数パーセントあるいは数10パーセントがメチル水銀により失われた際の影響、それも曝露年齢によっても異なる影響がどうなるかは、医学では未知の領域です。メチル水銀中毒同様の発症機序を有する神経疾患というのはほとんどありません。
しかもメチル水銀中毒などの中毒性疾患の研究は、現場の患者住民を観察し重症から軽症者に向かって進まなければならず、正常との境界を問題にしなければなりません。軽症例の追求こそ最も重要な課題の一つなのですが、神経内科分野の専門家に十分理解されているとはいえません。もっとも、この間、行政により救済されてきた患者らは、この境界例ではなく健康障害が明確な人々です。
残念ながら脳神経の専門家ならば当然有していなければならない基礎的な態度を持っている専門家は必ずしも多くありません。原因として水俣病に関係してきた医学者に対する行政の影響力が異常に強かったという歴史もあるでしょう。2009年7月17日の朝日新聞で、環境省の環境保健部長(当時)は、水俣周辺地域の健康調査に関して、「カネというバイアスが入った中で調査しても、医学的に何が原因なのかわからない。」と述べました。この発言は、環境被害では補償が関連しうる可能性が高いことを考えると、「環境被害等による被害者の苦痛は自動的に無視されてよい」そして「環境被害による苦痛についての医学的検討は必要ない」ことを意味しています。環境省はいまだにこの発言を訂正しておりません。
チッソおよび行政は、自らが広げた汚染物質による被害の実態を解明するための調査をほとんど行ってきませんでした。メチル水銀暴露による慢性的なメチル水銀中毒(慢性水俣病)のかなりの部分は、私たちを含む日本現地での症例によって解明されてきました。また、低濃度汚染や長期汚染の影響に関して、広大な未知の領域が残されており、少額の補償のみに限定された現状の政策で済まされる問題ではありません。
おそらく、このHPをご覧になられる皆様も「水俣病」と聞くと、痙攣を起こして踊り狂うように苦しみ、痩せて関節が曲がって固まったりされた、劇症型水俣病患者の姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。
このような劇症型水俣病はメチル水銀中毒の頂点に位置する病態であり、多くの方々は現在すでに亡くなっておられます。原田医師の病像ピラミッドに表現されているように重症患者から軽症患者まで、メチル水銀の曝露量と個人の感受性により、様々な病像と重症度を示しうるのです。
特にメチル水銀の成人曝露による水俣病では、神経内科の診察では運動系よりも感覚系の神経が傷害されるため、他人からは一見障害がないようにさえ見えます。しかも詳細に観察すると、感覚、運動、精神系の機能が薄く広く、重症者では、厚く広く障害されていくのです。また傷害されるのが大脳皮質を中心とした中枢神経であるため、中等症例あるいは軽症例では、症状の動揺や、特定の機能についての改善がみられたりします。
この多くの場合、感覚をよく調べてみるとその障害がわかります。ただしメチル水銀の胎児曝露で知られている胎児性水俣病では、運動障害が著明な人でも感覚障害がほとんどない方もおられます。このように水俣病は非常に多彩な病像を有しています。私たち何千例をみている医師ですら、患者の自覚症状を聞き、きちんとした神経学的検査をすることなしに、水俣病を診断することはできません。慢性的な曝露を受けた人々は、見た目だけでは水俣病かどうかはわからないのです。
また、「水俣病の患者は…」という形で患者の意思や感情、性格等に関する論評を行う人がいます。しかし、多様な社会的立場、多様な人格、性格を有する地域住民全体が被害者であったのであり、患者層に対する心理的特徴づけなど不可能なのです。その論評のしかた自体が、無知と誤解に基づくものであり、差別につながるのです。もしそのような一定の心理傾向が存在したとすれば、それは差別や水俣病に対する恐怖心や水俣病を避けようとする気持ちであったといえます。
国民が、水俣病に対する劇症例の印象をそのままにすることは、現在の国の誤った水俣病判断条件(いわゆる昭和52年判断条件)を維持する上でも役立ったかもしれません。熊本県、鹿児島県の水俣病認定審査会は、これまで、昭和52年判断条件に適合する患者の多くも棄却してきました。一時期を除いて、判断条件も厳しく適用したのです。当然のことながら国側の医師は、ごく一部を除き、軽症例や感覚障害に関する研究そのものをしてきませんでした。
その厳しい状況の中、熊本大学水俣病第二次研究班、故原田正純医師、藤野糺医師などが、実際の患者に関するデータを集め、水俣病の実態と病態の解明のため努力してきました。私たち県民会議医師団も、水俣病の諸症状、特に感覚障害に関する研究を行い、多くのことを見出してきました。特に、近年の研究では、水俣病で全身性感覚障害と四肢末梢優位の感覚障害の両方が起こりうること、中枢神経障害であるにもかかわらず、手袋足袋型の末梢神経障害様の表在感覚障害を起こすこと、などが分かってきました。
しかし一方で、まだまだ未解明のことが数多く残されています。それはメチル水銀中毒のように、中枢神経系、特に大脳皮質細胞を様々な程度に広く障害するような疾患は、これまでほとんど存在しなかったからなのです。大脳皮質の障害では、症状の動揺、優位に障害される機能の個人差、可塑性による症状の一時的あるいは中長期的改善などが起こりうると考えられます。一方で、年月を経ることで、症状が新たに出現したり、増悪したりする症例も少なくなく、これらは断続的または持続的低濃度汚染や加齢に伴う可塑性の破綻が原因と考えられます。
また、水俣病患者の中には一見正常に見えて、実際に仕事につくと作業がうまくできなかったり、理解や判断などでハンディがあったりという例が少なくありません。判断力や集中力などを含めた高次の脳機能に対するメチル水銀の影響が考えられます。
世界では低濃度水銀の成人や胎児の脳への影響がいわれています。成人あるいは母親の毛髪水銀が10ppm前後あるいはそれ以下の濃度で、成人の知能や運動機能の障害、出生胎児の成長過程での障害が報告されるようになっています。特に妊婦や小児などでは、メチル水銀濃度の高いクジラやマグロなどの大型魚の摂取を控えるようにという勧告が各国で出されています。
近年、発達障害と環境汚染物質との関連が研究されるようになってきましたが、一部で低濃度メチル水銀との関連も指摘されています。