熊本県水俣市 協立クリニックは、水俣病の診断・治療・リハビリ、神経内科、精神科、内科を専門としています。
1956年の水俣病の公式確認後も12年間水銀は海に流され続け、水銀の排出が停止されたのは1968年でした。その時点で、水俣病として認められた人々は、わずか100名余りでした。この時期すでに、重症者を含めた膨大な人々が、水俣病として認められないどころか、医療さえまともに受けられない状況で残されていました。
このような状況の中で、1970年1月、医師の有志がボランティアで水俣を訪問し、地域の患者を診察するようになり、1971年、このような有志の活動から、「公害をなくする県民会議医師団」が結成され、患者を掘り起こす活動が続けられました。その結果、1974年までに4,000名を越す人々が認定申請を行いました。
1971年6月に結成された熊本大学の水俣病第二次研究班のメンバーであった藤野糺医師は、1972年4月、水俣保養院(現在のみずほ病院)に勤務し、水俣病患者を診察するようになりました。そこで、水俣病の症状をもちながらも治療も、補償も受けられず生活苦にあえいでいる多くの患者の存在を目撃しました。藤野医師がこのような水俣病患者の実態を目のあたりにしていたことが水俣病をみることのできる医療機関の設立へとつながっていきました。
1974年1月、水俣診療所が水俣駅前に開設されました。当時のスタッフは、医師1名(他にパート医師1人)、看護師4名、事務員3名の計8名でした。まもなく患者のための入院施設が必要となり、1978年3月には水俣協立病院が設立されました。
当時は、銀行も十分に金を貸付けてくれず、診療の医師も不足しており、患者や住民からの募金や貸付けなどで費用を工面し、診療の医師も全国から応援をしてもらうという状況でした。
1970年代からの認定申請患者の急増に対して、次第に行政は申請患者の大多数を棄却するようになりました。当時、水俣病の病像を確立するために、藤野医師は県民会議医師団とともに桂島研究を行い、「メチル水銀に汚染された魚介類を摂取し、感覚障害を有している患者を水俣病と診断する」という診断基準を確立しました。そして、北は熊本市(移住された方)から南は高尾野町、西は天草諸島までの4市8町で進められた検診で、10,000人にのぼる患者の掘り起こしが行われました。1995年までに、熊本、鹿児島両県で、17,000名の人々が認定申請をしました。
1990年4月、手狭になった水俣協立病院の隣接地に、リハビリテーションと精神科部門の水俣協立理学クリニックを開設しました。2002年4月、藤野医師のあとを高岡現院長が受け継ぎ、同年6月、神経内科リハビリテーション協立クリニックと改称致しました。
2004年10月の水俣病関西訴訟最高裁判決以降、これまでの水俣病研究と診療の経験と実績を生かし、当クリニック、水俣協立病院、公害をなくする熊本県民会議医師団等をあわせて、2010年末までに5000名以上の患者、住民の検診を行ってきました。
2009年9月20日、21日におこなわれた不知火海沿岸健康調査は高岡院長を中心に計画され、1000名を超える住民が検診を受診し、89%の患者が水俣病検診をはじめて受診したにもかかわらず、9割以上の住民に水俣病に特有の神経所見を認めました。1987年に医師団によって一世代前の住民にたいして行われた水俣病検診でも、同様の現象が観察され、22年を経てなおかつ問題が放置されてきた実態が明らかにされました。
2005年10月に提訴されたノーモア・ミナマタ訴訟では、これまでの医師団の数々の医学データが提出されただけでなく、高岡院長が2008年7月から2009年7月まで7回にわたり熊本地方裁判所に出廷し、合計30数時間にわたる証言をおこない、2011年3月の和解に貢献しました。
2009年から2012年まで施行された水俣病特措法で、新たに5万6千名の住民が救済されましたが、この間の医師団の検診により、これまで考えられていた以上に広範囲に水俣病が広がっているという状態が明らかになってきており、医師団は更に調査・研究を続けています。
当クリニックは、水俣病だけでなく、運動機能、感覚機能、精神機能の障害や、身体各部の疼痛をきたす疾患の診断、治療を行っています。
身体疾患としては、水俣病などの神経内科疾患、外科的処置を必要としない疼痛性疾患、振動病などの職業性疾患、一般内科疾患などの診療をいたします。リハビリテーションは、院内での物理療法、通所リハビリテーションでの個別リハビリに力を入れています。入院および訪問リハビリテーションは、水俣協立病院でおこなっています。
精神疾患のなかでは、統合失調症などの精神病圏の疾患から、うつ病、神経症、パーソナリティ障害、パニック障害、発達障害、不眠症、認知症の方まで診療しております。当クリニックには精神科の入院施設はありませんが、精神科病院協会、熊本県精神科診療所協会にも所属し、地元水俣・出水市内や熊本・鹿児島県内の多くの精神科病院・診療所と医療連携をおこなっています。当法人の精神科病院である菊陽病院(菊陽町)は精神科救急対応が常時可能となっております。
また、地域の就労支援事業所、生活支援センター、保健所、市町村などとも協力して地域精神医療の一翼を担っています。院長は認知症サポート医であり、水俣市の認知症施策総合推進事業に協力し、水俣葦北認知症研究会でも活動しています。往診や訪問看護などの在宅医療に関しては、主として水俣協立病院とケアセンター協立で行っておりますが、必要に応じて、精神疾患を有する人に対するアドバイスなどをおこなっています。
身体疾患または精神疾患をもっておられる方々の通所リハビリテーション、自立支援法、介護保険法にもとづく各種手続き、身体障害者や年金受給のための診断書作成等も行っております。看護師がケースワーカーとして、上記手続きや生活支援策の検討などを行います。