熊本県 水俣市 【協立クリニック】 水俣病に関して 水俣病Q&A 内科 神経内科 リハビリ 精神科 等のご案内

 
神経内科 リハビリテーション
協立クリニック
〒867-0045
熊本県水俣市桜井町2-2-28
TEL 0966-63-6835
FAX 0966-63-1560
English menu
MENU
院長挨拶
診療案内
クリニック紹介
水俣病に関して
はじめにお読みください
水俣病の歴史、地域
水俣病の医学研究
研究業績
近年の業績
1993年以前の業績
水俣病以外の業績
共通診断書
水俣病についての説明
患者様向け
どのようなときに考えるか
診断・治療について
医療費・補償等について
医療従事者向け
どのようなときに考えるか
診断について
治療・リハビリについて
水俣病における
医療制度について
 
水俣病Q&A
クリニックだより
リンク集
個人情報についての取り扱い
トップページ
 
ENGLISH MENU
A Word of Welcome
A History of the Disease
The Disease Today
Our Clinic
Medical Procedure
Q&A about the Disease
 
協立クリニック

水俣病に関して

はじめにお読みください水俣病の歴史、地域水俣病の医学研究
研究業績共通診断書

はじめにお読みください
 
1. 水俣病が発生した後、その規模にふさわしい実態や病態の解明がなされなかった。その主たる原因は、行政による医学に対する干渉である。
 
 現代の医学の発展のスピードには目を見張るものがあります。どの疾患分野であれ、新たな疾患、病態、治療について、多くの医師により膨大なデータが収集され、最善の診断と治療方法が検討され、雑誌などに発表され、教科書も書き換えられていきます。
 
 しかしながら、公式確認から60年以上経過した今でさえ、水俣病に関する情報は正しく伝えられておりません。メチル水銀中毒としては、第二次世界大戦前のハンター・ラッセルなどの研究があったとはいえ、このような大規模な疾患の発生は、それまで世界のどこにもありませんでした。したがって、本来は、水俣病が公式に確認された後、新たな疾患および病態の発生として、例えば、「暫定的な知見をもとにした被害拡大防止→汚染地域全体の実態調査→病態の解明→暫定的な診断基準→医学研究に基づく、疾患の更なる探究」という手順が取られるべきであったにもかかわらず、そのような手段が講じられてきませんでした。本来は、被害地域全体の調査がなされ、継続的に住民の健康状態が調査されるべきだったのです。
 
 水俣病公式確認当時を含め、初期の水俣病に関与した医学者が重症例などを確認した後、行政機構に取り込まれていく中で、このような当然の手順で追求することを止めてしまいました。また、水俣病の実態を明らかにしようとした熊本大学の水俣病第二次研究班の医師らによる積極的な調査研究も、結果的に抑えこまれていき、そのような流れの中で、特に大学などの中では水俣病の研究はタブー視されていきました。メチル水銀の曝露を受けた人々が数十万人存在してきたにもかかわらず、水俣病の研究をおこなってきた医師というのは数えるほどしかいないのです。
 
 それだけでなく、一部の「専門家」が、国の水俣病診断基準である、いわゆる「昭和52年判断条件」に、データや医学的検討に基づかない「お墨付き」を与えてきたために、2,000名余りの認定患者以外は水俣病ではない、すなわち、「メチル水銀による健康影響は認められない」とされてきたのです。当然のことながら、一般の医学雑誌や教科書も、それを前提として書かれてきました。
 
 ですから、地域の臨床家を含め、日本全国の医師、医療従事者が、「水俣病のことは分からない」と言ってしまう状態になってしまったのです。水俣病は脳が障害を受ける疾患ですから、本来は神経内科疾患なのですが、行政とかかわり「昭和52年判断条件」を支持してきた医師の多くが神経内科医で、学会の重鎮等であったため、神経内科医の大半は、水俣病の知識も診療経験も持ち合わせず、世界的に問題になっているメチル水銀の人体影響についても知る機会がないという、皮肉な状況になっているのです。
 
 人間の脳細胞の数は140億個といわれています。劇症水俣病の最重症患者の脳は肉眼でもわかるくらいの泡沫状組織になっていましたが、それはごく一部の症例であり、多くの患者や住民は惨劇のなかのサバイバー(生存者)であり、多かれ少なかれ中枢神経の可塑性が保たれており、障害をもちつつも、例えば記憶や学習等の能力が廃絶するわけではないのです。例えば、140億個のニューロンの数パーセントあるいは数10パーセントがメチル水銀により失われた際の影響、それも曝露年齢によっても異なる影響がどうなるかは、医学では未知の領域なのです。メチル水銀中毒と同様の障害を引き起こす類似の神経疾患というのはほとんどないのです。
 
 しかも、メチル水銀中毒などの中毒性疾患の研究は、現場の患者住民を観察し、それも重症から軽症者に向かって進まなければならず、正常との境界を問題にしなければなりません。軽症例の追求こそ最も重要な課題の一つなのですが、そのことも神経内科分野の専門家に十分理解されているとはいえません。もっとも、この間、行政により救済されてきた患者らは、このような境界例ではなく、健康障害が明確な人々です。
 
 残念ながら、神経学の専門家ならば当然有していなければならないこのような基礎的な態度をしっかり持っている専門家というのは必ずしも多くありません。それは、水俣病においては、学界に対する行政の影響力が異常に強かった歴史があることが原因であろうと考えられます。2009年7月17日の朝日新聞で、環境省の環境保健部長(当時)は、水俣周辺地域の健康調査に関して、「カネというバイアスが入った中で調査しても、医学的に何が原因なのかわからない。」と述べました。この発言は、環境被害では補償が関連しうる可能性が高いことを考えると、「環境被害等による被害者の苦痛は自動的に無視されてよい」そして「環境被害による苦痛についての医学的検討は必要ない」ということを意味しています。環境省はいまだにこの発言を訂正しておりません。
 
2. 住民には、水俣病とメチル水銀の危険にさらされた責任は何一つなく、患者には、水俣病に罹患した責任は何ひとつない。一方、加害企業と行政は、汚染の全容解明の責任をいまだに果たしていない。
 
 これまで、水俣病や水俣病患者に対する差別がありました。それは、病気自体に関するものであったり、金銭的利害に関するものであったり、様々な形をとって行われてきました。そのため、この数十年間、水俣周辺地域の多くの人々は、水俣病による症状を医師や隣人に伝えるのではなく、自分の病気を隠し、耐えつづけなければならなかったのです。
 
 これまで、水俣病に関して地域内外で、「水俣病は感染する」、「水俣病患者は金目当て」などという無知に基づく差別的な発言がなされてきました。本来、環境被害や食中毒疾患が発生したときに、行政はそれを徹底的に調査し、住民に知らせ、対策を立てる義務があったのにそれを怠ってきたのです。患者や住民には何の責任もありません。
 
 近年、企業活動や製品による事故などがあったときは、企業が先に消費者に情報提供し、対策を立てるようになりました。本来ならば、被害者の為に行政と企業が先に行動すべきであるのに、今なお、水俣病の認定申請でさえ、患者本人がしなければならないのです。
 
 チッソおよび行政は、自らが広げてしまった汚染物質による被害の実態を解明するための調査をほとんど行おこなわず、第二次世界大戦後のメチル水銀による健康被害のかなりの部分は、私たちを含む日本の現地での症例によって解明されてきたのです。しかも、メチル水銀では、低濃度汚染や長期汚染の影響に関して、広大な未知の領域が残されており、少額の補償のみに限定された現状の政策で済まされる問題ではないのです。
 
3. 水俣病は、軽症から重症まで様々な障害があり、曝露の量や時期によっても障害が異なり、自覚症状を聴取し、きちんとして診察しなければ、診断もできなければ、重症度もわからない。
 
 おそらく、このホームページをご覧になられる皆様も、「水俣病」と聞くと、痙攣を起こして踊り狂うように苦しまれたり、やせ細って関節が曲がって固まったりされた、劇症型水俣病患者の姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。
 
 このような劇症型水俣病はメチル水銀中毒の頂点に位置する病態であり、そのような方々の多くは現在すでに亡くなっておられます。原田医師の病像ピラミッドに表現されているように、重症患者から軽症患者まで、メチル水銀の曝露量と個人の感受性により、様々な病像と重症度を示しうるのです。
 
メチル水銀暴露と症候の比較 --- 原田のモデル
 
 しかも、特にメチル水銀の成人曝露による水俣病では、神経内科の診察では運動系よりも感覚系の神経が傷害されるため、他人からは一見障害がないようにさえ見えます。しかも、詳細に観察すると、感覚、運動、精神系の機能が薄く広く、重症者では、厚く広く障害されていくのです。また、傷害されるのが大脳皮質を中心とした中枢神経であるため、中等症例あるいは軽症例では、症状の動揺がみられたり、特定の機能についての改善がみられたりするのです。
 
 このような人々についても、多くの場合、感覚をよく調べてみることでその障害がわかります。ただし、メチル水銀の胎児曝露で知られている胎児性水俣病では、運動障害が著明な人でも感覚障害がほとんどない方もおられます。このように、水俣病は非常に多彩な病像を有しているのです。私たちのように何千例をみている医師ですら、患者の自覚症状を聞き、きちんとした神経学的検査をすることなしに、水俣病を診断することはできません。見た目だけで、水俣病らしさについての論評をしないでください。
 
 また、「水俣病の患者は、・・・」という形で、患者の意思や感情、性格等に関する論評を行う人がいます。しかし、多様な社会的立場、多様な人格、性格を有する地域住民全体が被害者であったのであり、そのような患者層に対する心理的特徴づけなど不可能なのです。そのような論評のしかた自体が、無知と誤解に基づくものであり、差別につながるものです。もしそのような一定の心理傾向が存在するとすれば、それは差別や水俣病に対する恐怖心や水俣病を避けようとする気持ちでしょう。
 
4. メチル水銀による障害には、すでにわかっていることもあれば、未解明のこともあるが、低濃度水銀の危険性への備えは世界的な流れになっている。
 
 日本の国民が、水俣病に対する劇症例の印象をそのままにすることは、現在の国の誤った水俣病判断条件(いわゆる昭和52年判断条件)を維持する上でも役立ったかもしれません。熊本県、鹿児島県の水俣病認定審査会は、これまで、昭和52年判断条件に適合する患者の多くも棄却してきました。一時期を除いて、判断条件も厳しく適用したのです。当然のことながら、このような国側の医師は、ごく一部を除き、軽症例や感覚障害に関する研究そのものをしてきませんでした。
 
 そのような厳しい状況の中で、熊本大学水俣病第二次研究班、原田正純医師、藤野糺医師などが、実際の患者に関するデータを集め、水俣病の実態と病態の解明のために努力してきました。私たち県民会議医師団も、水俣病の諸症状、特に感覚障害に関する研究を行い、多くのことを見出してきました。特に、近年の研究では、水俣病で全身性感覚障害と四肢末梢優位の感覚障害の両方が起こりうること、中枢神経障害であるにもかかわらず、手袋足袋型の末梢神経障害様の表在感覚障害を起こすこと、などが分かってきました。
 
 しかし、一方で、まだまだ未解明のことが数多く残されています。それは、メチル水銀中毒のように、中枢神経系、特に大脳皮質細胞を様々な程度に広く障害するような疾患は、これまでほとんど存在してこなかったからなのです。大脳皮質の障害では、症状の動揺、優位に障害される機能の個人差、可塑性による症状の一時的あるいは中長期的改善などが起こりうると考えられるからです。一方で、年月を経ることにより、症状が新たに出現したり、増悪したりする症例も少なくなく、これらは、断続的または持続的低濃度汚染や加齢に伴う可塑性の破綻が原因と考えられます。
 
 また、水俣病患者の中には、一見正常に見えて、実際に仕事につくと、作業がうまくできなかったり、理解や判断などでハンディがあったりという例が少なくありません。このような判断力や集中力などを含めた高次の脳機能に対するメチル水銀の影響について、私たちも、データを蓄積しつつありますが、まだまだこれから解明していかなければならない課題が残されています。
 

 世界では、低濃度水銀の成人や胎児の脳への影響がいわれています。成人あるいは母親の毛髪水銀が10ppm前後あるいはそれ以下の濃度で、成人の知能や運動機能の障害、出生胎児の成長過程での障害が報告されるようになっています。特に、妊婦や小児などでは、メチル水銀濃度の高いクジラやマグロなどの大型魚の摂取を控えるようにという勧告が各国で出されています。

ページトップへ戻る
水俣病の歴史、地域
 
水俣病の発生
 

チッソ株式会社(以下、チッソ)は明治41年(1908年)に水俣に設立され、化学工業分野で日本の経済成長に貢献してきました。しかし、チッソは大正14、15年頃には工場排水による漁業被害を既に起こしており、漁協に対し補償を行っています。昭和7年(1932年)からは水銀を触媒として使うアセトアルデヒドの生産を開始し、その排水が無処理のまま海に流されていました。

 
 戦後、チッソはアセトアルデヒドの生産を拡大し、昭和25年(1950年)頃から生産方法を変え、排水にメチル水銀が大量に含まれるようになりました。この頃から、魚介類、鳥、猫、豚などに異常や異変が起こったのです。水俣湾の魚が海面に浮上し、カラスが空から落ちたり、 猫が踊り狂ったりするようになりました。漁獲量は昭和20年代後半から急激に減少しています。
 
 昭和31年(1956年)4月21日と23日、5歳と2歳の姉妹が原因不明の神経障害でチッソ附属病院に入院、同病院の細川一院長は、同年5月1日に水俣保健所(伊藤蓮雄所長)に報告し、これが水俣病公式発見とされています。しかし、細川院長は、同様の神経症状をきたした患者の発生を昭和28年12月までさかのぼりました。また、熊本大学第二次水俣病研究班の調査では、戦前の昭和17年(1942年)には患者が発生していた可能性もいわれています。
 
水俣病の原因究明
 当初、水俣病の原因は判明せず、「奇病」と呼ばれ、感染症を疑った隔離や差別もありましたが、昭和31年(1956年)10月の熊本医学会では、感染症の可能性は否定されています。同年12月、熊本大学の喜田村教授が水俣湾内の魚介類の危険性を証明しましたが、これらの研究は行政によって無視されました。昭和33年(1958年)9月、それまで被害が発生していた水俣湾への排水口を水俣川に変更し、汚染は不知火海を北上、南下する潮の流れとともに、八代海全体に広がっていきました。
 原因解明にチッソと行政が協力しない中、熊本大学の研究班は、昭和34年(1959年)7月、その原因を有機水銀と結論づけました。同年11月12日、厚生省食品衛生調査会・水俣食中毒部会は「奇病」の原因をある種の有機水銀中毒と発表し、更なる調査の必要性を認めましたが、厚生省は翌日それを解散させたのです。その後の必要な調査はなされず、食品衛生法、水質二法、熊本県漁業調整規則などによる法的な漁獲規制も行われなかったため、チッソはアセトアルデヒドの生産を続け、排水は海に流され続けることとなりました。この国の政策は誤りであったと、最高裁の判決で指摘されています。昭和34年(1959年)12月、チッソは水銀除法に効果があるというふれこみでサイクレーターという排水処理施設を完成させました。しかしこのサイクレーターは工場内の水銀を含む排水系統とは無関係で、全く効果がなかったことがその後あきらかになっています。
 
アセトアルデヒドの製造停止と公害病認定
  昭和43年(1968年)5月、チッソによるアセトアルデヒドの製造が終了し、全国のアセトアルデヒド工場の操業が停止された後、同年9月、政府は水俣病の原因をチッソのメチル水銀と認め、水俣病を公害病と認めました。すでに水俣病公式発見から12年もの月日が過ぎていました。その間、水俣病患者は増え続けました。
 
 昭和44年(1969年)、患者はチッソに損害賠償を求めて裁判を起こしました。昭和48年(1973年)に患者勝訴の判決が確定するまでは、水俣病患者は十分な補償を得ることはできませんでした。
 
 一方で、水俣病患者は、地域での差別にも苦しみました。水俣病の原因が明確になる以前は、水俣病が「伝染する」という差別を受け、水俣病の原因が明確になってからも、補償金目当ての「ニセ患者」という差別を受け、そのため、水俣病の症状があることを多くの人々は隠し続けてました。結婚差別もありました。そういう環境の中で、水俣病についての医師の診察を受けたり、補償を求めたりすることはとても大変で困難なことでした。
 
 昭和46年(1971年)7月、環境庁ができ、川本輝夫氏らの行政不服請求事件の結果を受け、認定基準を示しました。それは、メチル水銀に汚染された魚介類摂取歴のある者が、感覚障害、視野狭窄、運動失調(手足などのスムーズな働きができないこと)などの症状のうち一つでもあれば認定するというものでした。しかし、実際には、人体汚染についての十分な包括的調査は行われず、被害の実態解明は行われませんでした。
 
水俣診療所の設立と桂島研究
 「クリニック紹介」にも記載していますが、このような状況の中で、1970年1月、ボランティアの医師有志が水俣地域の患者を診察するようになりました。熊本大学の水俣病第二次研究班のメンバーであった藤野糺医師は、1970年6月、水俣病患者を診察するようになりました。そこで、治療もされず、補償もされずに生活苦にあえいでいた多くの患者を目のあたりにし、1974年1月の、水俣診療所の設立につながりました。
 その後も、県民会議医師団により、患者救済のための医療活動が続けられました。その結果、四肢末梢の感覚障害や失調などをもつ多くの患者がみつかりました。認定申請者の急増と、チッソの経営難、チッソ県債の発行にあわせて、1977年、国は水俣病判断条件を厳しくしましたが、そのもととなる医学的なエビデンス(証拠)は今日まで何も提示されていません。

 実際には、原田正純医師の汚染のピラミッドモデルにみられるように、水俣病には、重症例から軽症例のさまざまな病態が存在すると考えられ、これらを実証するために、藤野医師らは、県民会議医師団と協力して、メチル水銀中毒症状についての桂島研究を行いました。

 桂島は水俣市から南西に12km離れた離島です。桂島は、当時としては比較的汚染が少ないとされており、鹿児島大学の研究グループは、1973年にこの島の住民の診察と検査を行い、「桂島には水俣病患者はいない」と結論づけていました。1975年、水俣診療所の藤野医師と当時のスタッフは、この桂島を汚染地域として調査し、鹿児島県奄美諸島の一漁村と比較する疫学調査を開始しました。

 その結果、桂島の住民は、奄美地域と比較して、感覚障害、視野狭窄、その他の症状が有意に多く、感覚障害のみの患者から、ハンターラッセル症候群の症状を持った最重症の患者まで多彩な病像を示していました。この研究により、感覚障害のみを有する水俣病の存在が医学的に示されました。なお、検診を受けた桂島の住民の多くは、その後、水俣病に認定されることになりました。
 
水俣病を掘り起こし検診
 桂島研究によって、県民会議医師団と水俣協立病院は、「メチル水銀に汚染された魚介類を摂取し、感覚障害を有している患者を水俣病と診断する」という診断基準を確立しました。「クリニック紹介」に記載したように、1万人にのぼる患者の掘り起こしが行われました。
 患者の多くは、水俣病の認定申請を行いましたが、昭和52年(1977年)に認定基準が厳しいものに変わる前あたりから保留が増えはじめ認定される患者は減少しました。昭和60年(1985年)8月、水俣病第二次訴訟で福岡高裁は、知事からは棄却されていた原告患者を水俣病と認めました。
 
 チッソは上告せず、この判決は確定しました。判決の中で、政府は認定基準を変更はしなかったものの、この判決を放置することもできず、昭和61年(1986年)6月、汚染された魚介類を食べており、四肢末梢の感覚障害がある患者について、水俣病とは認めないが、医療費の自己負担分の補助を国と県が行う特別医療事業を開始しました。これが現在の水俣病総合対策医療事業となっていきました。この基準は、平成7年(1995年)のチッソと患者団体の和解における解決基準でも採用されました。
 

 一方で、環境庁(当時)の主導で、昭和60年(1985年)10月11、12日、祖父江逸郎氏を座長として「水俣病に関する医学専門家会議」が開かれ、昭和52年判断条件は妥当であるとしました。その後、日本精神神経学会は、この会議についての調査し、この会議の意見について、いかなる科学的妥当性も見出せなかったと発表しました。

 
平成7年の水俣病解決から現在まで
 水俣病の病像を争った第二次水俣病裁判、および、国・県の行政責任と病像を争った第三次水俣病裁判においては、証拠となる医師の診断書が必要でした。そこで県民会議医師団と水俣協立病院の医師は、丹念な診察の後に、裁判に参加した1,400名近い患者の診断書を作成したのです。その医学的診断についての証言を裁判所で行った医師らの病像は、第二次および第三次水俣病裁判において認められました。
 
 平成12年(2000年)当時、熊本県と鹿児島県で合わせて2,263人が水俣病に認定され、10,350人が水俣病総合対策医療事業の対象として救済されていました。
 
 一方、水俣病関西訴訟は58人の原告が裁判を続け、平成13年(2001年)4月、大阪高等裁判所は、水俣病の拡大に対して国と熊本県の責任を認め、原告の多くを水俣病と認めました。平成16年(2004年)10月15日、最高裁判所も大阪高等裁判所の判決を支持し、国と熊本県の行政責任が確定しました。
 

 最高裁判決後、多くの住民が、水俣病の認定申請をしました。2005年11月、当時の熊本県知事であった潮谷義子は、汚染地域の健康調査を提案計画しましたが、国は拒否しただけでなく、水俣病の認定基準を変えず、救済策を示さなかったため、平成17年(2005年)10月、ノーモア・水俣訴訟が提訴されました。この裁判では、医師団のこれまでの数々の医学データが提出されました。

 平成21年(2009年)9月20日、21日におこなわれた不知火海沿岸健康調査では1000名以上の住民が検診を受けました。この検診で、受診者の90%に水俣病に特徴的な神経所見を認めました。未だに多く未認定患者が存在することが明らかになり、平成23年(2011年)3月和解となり、国は原告を水俣病被害者と認めました。

 現在、裁判をしなかった患者は、平成23年(2009年)7月に成立した水俣病特措法の施策で救済されています。特措法での救済患者数は2011年9月現在公表されていませんが、これまでに総数で6万人以上の住民が水俣病と認められたと推定されていますが、指定地域以外の患者や1969年12月以降に生まれた患者の救済は進んでいません。この法律は3年の時限立法とされており、差別や情報不足のなかで、全被害者が救済されるかどうかが問題となっています。また、これらの裁判や救済策に同意せず、裁判を続けている患者もいます。

ページトップへ戻る
水俣病の医学研究

 
 これまでなされてきた水俣病研究は、以下のような水俣病をめぐる情勢の動きの中で、研究内容を把握していくと、その流れがよく理解できます。

1. 水俣病公式確認直後から水俣病診査協議会(S31年〜S35年)

・S31年、熊本大学・公衆衛生、小児科、第1内科、第2病理などの各講座による水俣現地での調査・研究が始まる。
・S31年〜S34年、熊本大学第1内科の徳臣晴比古氏、岡嶋透氏ら、水俣病患者34名を診察し、報告した。
・S35年、徳臣氏が水俣病診査協議会に参加。これ以降、徳臣氏は、S56年までの約20年間にわたり、16の医学雑誌に、初期診断された30数症例の症候頻度表(10年後、20年後の追跡を含む)を掲載し続ける。

2. 水俣病診査協議会から新潟水俣病確認(S35年〜S40年)

・水俣病診査協議会での、S35年からS40年までの認定数、わずかに33名。
・徳臣氏、岡嶋氏らによる、S35年水俣病終息説(「神経研究の進歩」昭和38年3月)。

3. 新潟水俣病確認から水銀パニック(S40年〜S48年)

・S40年、阿賀野川流域疫学調査。
・新潟大学椿忠雄氏、水俣病認定に感覚障害のみを有する軽症例を含める。
・S41年、日本内科学会講演会で椿氏が症例報告。この時、徳臣氏が「水俣病志願者」発言を行う。
・S43年、チッソ排水停止。
・S44年、水俣病第一次訴訟提訴。
・S46年、「公害をなくする県民会議医師団」結成。
・S47年、椿氏、水俣病患者をめぐり、「軽症例や非定型例を心因性や詐病ときめつけずきちんと診るべき」と主張(「科学」昭和47年10月)。

4. 水銀パニックから福岡高裁判決(S48年〜S60年)

・S46年、熊本大学「10年後の水俣病研究班」(通称・第二次研究班)調査開始
・S48年5月、熊本大学水俣病第二次研究班の報告で、対照地域での有所見者の存在から、第三水俣病の可能性が報道された。当時、水銀を使用していた苛性ソーダ工場が全国に49あり、日本中が水銀パニックとなった。
・S48年8月、椿氏が環境庁専門家会議座長となり、第三水俣病を否定していく。以後、椿氏は水俣病に関する研究から、次第に手を引いていく。
・S49年1月、水俣診療所開設。
・S49年、椿氏の姿勢転換を示す論文(「神経研究の進歩」昭和49年10月)。
・S50年、桂島調査。
・「S52年判断条件」通達。
・S53年、水俣協立病院開設

5. 水俣病第二次訴訟福岡高裁判決から「政治解決」(S60年〜H7年)

・S60年、水俣病第二次訴訟福岡高裁判決、感覚障害のみの水俣病を認める。
・S60年、「医学専門家会議」が、昭和52年判断条件を擁護。
・H1年、熊本大学第一内科荒木淑郎氏ら、熊本県農村部住民の神経障害調査し、「四肢末梢優位の感覚障害は、1%未満」。
・水俣病第三次訴訟判決。

6. 「政治解決」から、最高裁判決まで(H7年〜H16年)

・H7年、水俣病「政治解決」、大量の保留者をも棄却し「解決」。
・水俣病関西訴訟、原告側証人浴野成生氏ら、被告側証人衛藤光明氏ら。
・H9〜11年、日本精神神経学会・研究と人権問題委員会・水俣病問題小委員会、昭和52年判断条件、昭和60年医学専門家会議について、調査し、これらの判断に医学的根拠がないことを批判。
・H11年、内野誠氏ら、水俣病認定申請者のデータをまとめ、棄却者の実態があきらかとなる。
・S57年に提訴された水俣病関西訴訟、H13年、大阪高裁で、患者側勝訴。

7. 最高裁判決から現在まで(H16年〜H23年)

・H16年、関西訴訟最高裁判決で、国の責任を認める。・判決後、大量の水俣病認定申請、保健手帳申請。
・H17年10月、ノーモア・ミナマタ訴訟提訴。その後、各地で水俣病を巡る訴訟が提訴される。
・H20年7月〜H21年7月:高岡滋原告側証人尋問
・H21年7月、水俣病特措法成立
・H21年9月20〜21日、不知火海沿岸住民健康調査、水俣病検診が全国に拡がる。
・H22年1月、被告側臼杵扶佐子氏証人尋問取り下げる。
・H22年2月、高岡証人、臼杵意見書に対する反論書提出。
・H23年、ノーモア・ミナマタ訴訟和解。溝口訴訟、水俣病互助会訴訟などの裁判は継続。

ページトップへ戻る
研究業績

 当クリニック、水俣協立病院、熊本民医連、公害をなくする熊本県民会議医師団関連の研究業績です。

近年の業績
メチル水銀の胎児影響に関して
・板井八重子、藤野糺、上野恵子、元松靖子:メチル水銀濃厚汚染地域における異常妊娠の疫学的研究
(An epidemiological study of the incidence of abnormal pregnancy in areas heavily contaminated with methylmercury.) Environmental Sciences 11巻、p.83-97、2004年

・川上義信、重岡伸一、藤野糺、高岡滋、赤木洋勝、原田正純:不知火海沿岸住民健康調査での臍帯メチル水銀測定結果【第51回日本神経学会総会・東京・2010年5月】

水俣病の自覚症状に関して
・高岡滋、藤野糺、川上義信、谷口一也、赤木正彦、福原明:メチル水銀汚染地域の患者の自覚症状
(Symptoms among patients in a methylmercury-polluted area.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】
 
・高岡滋:メチル水銀汚染地域の内科外来患者の自覚症状【第43回日本神経学会総会・札幌・2002年5月】
 
水俣病のこむらがえりに関して
・高岡滋:水俣周辺地域におけるからすまがり(こむらがえり)の発症時期と頻度について【第36回日本神経学会総会・名古屋・1995年5月】
 
・高岡滋:、藤野糺、重岡伸一:水俣病発生40年後のメチル水銀汚染地域住民にみられる高頻度のこむらがえりについて【第5回水銀国際会議・リオ・デジャネイロ・1999年5月】
 
・高岡滋、川上義信、谷口一也、赤木正彦、藤野糺、関川智子、他:こむらがえりは、水俣病患者やメチル水銀汚染地域で高率に発生する(Muscle cramps are highly prevalent among Minamata disease patients and residents in methylmercury-polluted areas.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】
 
水俣病の症候に関して
・藤野糺:慢性水俣病に関する臨床疫学的研究・パート1.桂島研究. (Clinical and epidemiological studies on chronic Minamata disease Part I: Study on Katsurajima Island.) Kumamoto Medical Journal 44巻、p.139-155、1994年
・高岡滋、川上義信、福原明、藤野糺、清島美樹子、宮田研一郎、奥田和久:水俣病確認50年後のメチル水銀汚染地域における新たな検診受診者の徴候(Symptoms of newly-examined residents in the methylmercury polluted region nearly 50 years after the outbreak of Minamata disease.)【第18回世界神経学会・シドニー・2005年11月】
 
・高岡滋、川上義信、奥田和久:水俣病発生約50年後の水俣周辺地域における新たな検診受診者の徴候(Symptoms of newly-examined residents around Minamata City nearly 50 years after the outbreak of Minamata disease.)【第8回水銀国際会議・マジソン・2006年8月】

・高岡滋、川上義信、重岡伸一、鈴木博、清島美樹子:体性感覚障害を有するメチル水銀汚染地域住民の神経所見スコア化の試み【第49回日本神経学会総会・横浜・2008年5月】 【PDF閲覧 405KB】
・重岡伸一、高岡滋、藤野糺、川上義信:水俣病症状の発症と年齢の関係
【第50回日本神経学会総会・仙台・2009年5月】
 
・高岡滋:メチル水銀汚染地域住民の体性感覚閾値の変動 (Fluctuation of the somatosensory acuity in the methylmercury-contaminated residents.)【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】
 
・藤野糺、高岡滋、川上義信:チッソ・アセトアルデヒド工場操業停止後に出生した住民の水俣病症候
(Symptoms and signs of residents who were born after the stopping the acetaldehyde plant of Chisso Company, May 18, 1968)【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】
→第31回みなまたあしきたカンファレンスでの資料をpdf化しました。
 
・藤野糺、高岡滋:チッソ・アセトアルデヒド工場操業停止(1968年5月18日)後に出生した住民の水俣病症候
【第105回日本精神神経学会・神戸・2009年8月】

・高岡滋、藤野糺、川上義信、重岡伸一、橋本和子、清島美樹子、板井陽平、原田正純:不知火海沿岸住民健康調査にみるメチル水銀による健康影響の広がり【第51回日本神経学会総会・東京・2010年5月】

・藤野糺、高岡滋、原田正純:新たに確認された、メチル水銀による不知火海沿岸住民の健康影響の広がり
【第106回日本神経精神学会・広島・2010年5月】

・重岡伸一、川上義信、藤野糺、高岡滋:水俣病認定申請被棄却者の神経症候
【第51回日本神経学会総会・東京・2010年5月】
水俣病の感覚障害に関して
・高岡滋、藤野糺、関川智子、宮岡徹:メチル水銀曝露歴を有する人々に対する心理物理学的感覚検査(Psycophysical sensory examination in individuals with a history of methylmercury exposure.) Environmental Research 95巻、p126-132、2004年
 
・高岡滋:中高年者における、口唇手指の二点識別覚閾値の正常値【第42回日本神経学会総会・東京・2001年5月】
 
・高岡滋、柏木勇蔵:水俣病において、体性感覚障害は、大脳皮質障害によって引き起こされる(Somatosensory disturbance is caused by cortical damage in Minamata disease.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】
 
・高岡滋:慢性期メチル水銀中毒患者の深部感覚障害【第44回日本神経学会総会・横浜・2003年5月】
 
・高岡滋:慢性メチル水銀中毒患者の触覚サブモダリティの研究【第45回日本神経学会総会・東京・2004年5月】
 
・高岡滋、藤野糺、柏木勇蔵、関川智子、宮岡徹:メチル水銀曝露を受けた人々に対する心理物理学的体性感覚検査(Psychophysical somatosensory examination of the methylmercury-exposed individuals.)【第7回水銀国際会議・リュブリャナ(スロベニア)・2004年6月】
 
・高岡滋:メチル水銀汚染地域住民の体性感覚障害の特徴【第47回日本神経学会総会・東京・2006年5月】
 
・高岡滋:メチル水銀汚染地区住民の感覚障害の特徴(Characteristics of somatosensory disturbance of residents in the methylmercury-polluted area.)【第8回水銀国際会議・マジソン・2006年8月】
・高岡滋:大脳皮質感覚野を障害する水俣病(メチル水銀中毒)の探究に対する心理物理学の応用(Application of psychophysics to the exploration of Minamata disease (methylmercury poisoning), which disturbs sensory cortex.)【第23回国際心理物理学会・東京・2007年10月】
・重岡伸一、高岡滋、川上義信、鈴木博、清島美樹子:メチル水銀曝露による感覚障害の特徴【第49回日本神経学会総会・横浜・2008年5月】 【PDF閲覧 100KB】
・高岡滋、川上義信、藤野糺、大石史弘、元倉福雄、熊谷芳夫、宮岡徹:メチル水銀曝露による体性感覚障害 (Somatosensory disturbance by methylmecury exposure.) Environmental Research. 107巻、p.6-19、2008年
 
・高岡滋:メチル水銀汚染地域住民の体性感覚閾値の変動
【第50回日本神経学会総会・仙台・2009年5月】

・高岡滋:メチル水銀汚染地域住民の体性感覚閾値の変動
(Fluctuation of the somatosensory acuity in the methylmercury-contaminated residents.)
【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】
水俣病の視野狭窄に関して
・ 高岡滋:メチル水銀曝露住民の視覚探索能力【日本心理学会第72回大会・札幌・2008年9月】 【PDF閲覧 30KB】
 
・川上義信、高岡滋:メチル水銀曝露住民の視覚探索【第50回日本神経学会総会・仙台・2009年5月】
 
・高岡滋、川上義信:メチル水銀曝露住民の視覚探索(Visual search of methylmercury-exposed residents)
【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】
 
・高岡滋:メチル水銀被曝露者に対するコース立方体検査
(Application of Kohs block-design test to methylmercury-exposed people)
【第9回国際水銀会議・貴陽(中国)・2009年6月】
 
・高岡滋:メチル水銀被曝露者に対するコース立方体検査
【第105回日本神経精神学会・神戸・2009年8月】
 
水俣病の視野狭窄に関して
・高岡滋:慢性期メチル水銀中毒患者の求心性視野狭窄【第46回日本神経学会総会・鹿児島・2005年5月】
(病気のため発表できず、学会誌に抄録掲載)
 
水俣病のADLに関して
・高岡滋:メチル水銀汚染地域における要介護者の特徴 【第41回リハビリテーション医学会学術集会・東京・2004年6月】
 
水俣病の治療に関して
・高岡滋、藤野糺:水俣周辺地域にみられるからすまがり(こむらがえり)に対する芍薬甘草湯の有効性【第37回日本神経学会総会・大宮・1996年5月】
 
水俣病患者の心理に関して
・高岡滋、川上義信:水俣病の発生から約50年を経て、なぜ多くの住民が水俣病検診を受け始めたのか?(Why so many residents began to receive the Minamata disease examination almost 50 years after the outbreak of Minamata disease?)【第8回水銀国際会議・マジソン・2006年8月】
 
・高岡滋:どのように水俣病は隠されてきたのか−新たな水俣病検診受診者の意識調査−【日本心理学会第70回大会・福岡・2006年11月】 【PDF閲覧 662KB】
 
新潟水俣病患者の症候に関して
・高岡滋:新潟県阿賀野川流域の未認定水俣病患者の症候【第48回日本神経学会総会・名古屋・2007年5月】
 
総説
・高岡滋:水俣病の実像−新しい申請患者の実態からみえてくること環境と公害−35巻2号、p36-41、2005年
・新たにわかってきた水俣病のはなし・NPOみなまた・2005年7月
 
・高岡滋、藤野糺、川上義信、谷口一也、赤木正彦、福原明:メチル水銀汚染地域における医療機関の医学研究に対する役割(The role of clinicians in medical research in methylmercury-polluted areas.)【第6回水銀国際会議・水俣・2001年10月】
 
・高岡滋:水俣病公式発見から50年水俣病健康被害の現状と今後の課題・民医連医療
(0285-2241)411号Page6-11(2006.11) 【 全日本民医連ホームページ 】

・高岡滋:水俣病診断総論 2006年11月19日 【PDF閲覧 1MB】
 
・高岡滋:水俣病の診断および鑑別診断、共通診断書の意義等に関する意見書 2007年11月4日 【PDF閲覧 348KB】
 
 
・高岡滋:ノーモア・ミナマタ訴訟と水俣病の医学. 民医連医療(0285-2241)439号Page53-59(2009.3)
【全日本民医連ホームページ】
 
・高岡滋:水俣病不知火海沿岸住民健康調査とその意義. 民医連医療454号 Page6-11(2010.6)
 
・板井八重子:被害者・患者がいる限り・・・水俣病不知火海沿岸住民健康調査報告. 民医連医療454号 Page12-15(2010.6)
 
1993年以前の業績

メチル水銀の人体影響

平田宗男: 田浦町集検報告. 医学評論 46: 59-65, 1974.

藤野糺,住吉司郎,南龍一,平原輝雄,服部英世,原田正純,堀田官立: 精神遅滞の臨床疫学的研究−有機水銀汚染の影響−. 熊医学会誌 50: 282-295, 1976.

原田正純,藤野糺,樺島啓吉,立津政順,衛藤光明,武内忠男: 長期にわたって精神病とされた水俣病−剖検所見と水俣病の精神症状−. 精神医学 18: 934-944, 1976.

藤野糺: ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第1報 汚染地区件民の一斉検診). 熊医会誌 51: 2262, 1977.

藤野糺: ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究(第2報 非汚染地区住民の一斉検診). 熊医会誌 51: 90147, 1977.

藤野糺,板井八重子, 原田正純: 先天異常と環境汚染による有機水銀の影響の検討 ‐Laurennce-Moon-Biedl症候群をめぐって‐. 体質学誌 44: 103-115, 1980.

藤野糺: ある島における住民の有機水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究、第3報  I.汚染地区における若年者の一斉検診 II.水俣病診断に対する新たな諸検査の試み. 熊医会誌 54: 149-193, 1980.

樺島啓吉: 小児期発症水俣病の臨床的研究. 熊本医学会雑誌 54: 104-126, 1980.

藤野糺,板井八重子: 熊本県御所浦町住民の自覚症状、神経症状の推移 −メチル水銀の慢性微量汚染の影響に関する研究−. 医学評論 7: 51-57, 1983.

衛藤光明,原田正純,三嶋功,藤野糺,板井八重子,武内忠男: 水俣病の臨床と病理の比較検討−25年の経過をとった精神症状を伴う水俣病の1剖検例−. Neruopathol 5: 29-40, 1984.

藤野糺,板井八重子: 有機水銀汚染地区住民の臨床症状の遷移 −比較的少量の汚染の影響に関する臨床的研究−. 体質医研報 34: 541-558, 1984.

永木譲治,大西晃生,黒岩義五郎: 腓腹神経の伝導検査と組織定量所見との対比‐正常8対照例における検討. 臨床神経学 24: 392-400, 1984.

永木譲治,大西晃生,黒岩義五郎: 慢性発症水俣病患者における腓腹神経の電気生理学的および組織定量的研究. 臨床神経学 25: 88-94, 1985.

藤野糺,板井八重子,上拾石秀一,原田正純: 有機水銀による環境汚染が住民の健康に及ぼす影響−ある漁村地区の場合、アンケート調査と検診結果より−. 日本体質学雑誌 49: 1985.

藤野糺,板井八重子,永山格,ほか: メチル水銀の慢性微量汚染の影響に関する研究、第2報:同一検査者による不知火海沿岸住民510名の自覚症状・神経症状の推移. 医学評論 82: 34-41. 1987.

藤野糺,板井八重子,元松靖子: メチル水銀の慢性微量汚染の影響に関する研究、第3報:汚染源排出停止後の転入者の臨床症状について. 医学評論 83: 52-60. 1987.

藤野糺,板井八重子,元松靖子: メチル水銀の慢性微量汚染の影響に関する研究、第4報:汚染地から転出した住民にみられた健康障害、いわゆる“遅発性"の問題. 医学評論 84: 46-54, 1988.

藤野糺, 平田宗男,上妻四郎: 徳山湾沿岸住民健康調査報告−メチル水銀の微量汚染の影響−. 医学評論 90: 43-53, 1991.

メチル水銀分析

原田正純,藤野糺,樺島啓吉: 水俣病における保存臍帯のメチル水銀に関する研究. 脳と発達 9: 79-84, 1977.

元村永: 水俣市周辺の水銀汚染について−毛髪・血中・尿中有機水銀測定値より−. 医学評論 64: 1980.

向井敏子: 水俣周辺沿岸の魚介類の水銀汚染について. 医学評論 64: 1980.

臨床検査

樺島啓吉,南龍一,藤野糺,原田正純: 慢性水俣病における発作性症状と脳波所見. 臨床脳波 19: 733736, 1977.

白川健一,熊本俊秀,神田武政,岡田美保子,藤野糺,永木譲治: 水俣病診断のためのCT検査の有用性と主要症候の検討. 新医会誌 95: 548-566, 1981.

永木譲治,藤野糺,板井八重子: ペインメーターによる水俣病感覚障害の研究. 神経内科 17: 43-49, 1982.

治療

原田正純,藤野糺,板井八重子: 慢性水俣病の治療‐Sodium valproateについて‐. 日本医事新報 No.2848: 29-34, 1978.

Harada, M., T. Fujino, H. Takahashi: Effects of tiopronin and spirono1actone in the treatment of chronic methylmercury poisoning. Bull Inst Constit Med (Kumamoto) 29: 1-20, 1978.

愛甲紹二: 水俣病における運動療法. 医学評論 89: 1991.

看護

上野恵子,井本美恵: 水俣協立病院における在宅ケア(13年間の訪問看護実践より). 看護学雑誌 52: 686-691, 1988.

15年目の現実‐水俣協立病院の訪問着護. Nursing Today 9: 10-13, 1989.

藤野糺: 公害の原点としての水俣病. 看護教育 32: 487-493, 1991.

上野恵子: 小病院における在宅ケアの特徴−当クリニック16年間の訪問看護の実践より−. 全日本病院協会雑誌 2: 78-80, 1991.

板井八重子,湯治愛子: 水俣病の闘いは終わっていない. Nurse eye 6: 1993.

その他

Harada, M., T. Fujino, T. Akagi, and S. Nishigaki: Mercury contamination in human hair at Indian reserves in Canada. Kumamoto Med J(Kumamoto)30: 57-64, 1977.

藤野糺,板井八重子: 水俣病問題の現段階=1, 水俣病の現在の医学的問題点. 公害研究 11: 2-12, 1982.

藤野糺: 慢性水俣病20年の取組み−メチル水銀汚染の全貌を明らかにし、すべての被害者の救済を目指して−. 日本の科学者 26: 22-27, 1991.

 
水俣病以外の業績

高岡滋、小宮忠利、北田徹、ト部貴夫、水野美邦: 脳血管障害による痴呆発症要因に関する研究.
【第33回日本神経学会総会、鹿児島、1992年5月】

高岡滋、小宮忠利、北田徹、ト部貴夫、水野美邦: 脳血管障害による痴呆発症要因
(Factors responsible for the development of dementia in cerebrovascular disorders.)
【第2回国際脳卒中学会、ワシントンDC、1992年9月】

高岡滋、横山和正、水野美邦、佐藤猛: 抗パーキンソン剤による幻覚・せん妄 −パーキンソン病患者にみる出現要因
−.【第34回日本神経学会総会、千葉、1993年6月】

高岡滋: 交通外傷性頚椎捻挫に対する漢方エキス剤と穴位注射併用療法.
【第55回日本東洋医学会学術総会、横浜、2004年6月】

高岡滋: 不安症状に対する加味帰脾湯の効果.【第56回日本東洋医学会学術総会、富山、2005年6月】
(病気のため発表できず、学会誌に抄録掲載)

高岡滋: 個別ケア重視のグループホームは、問題行動を有する痴呆性老人への対応に有効である.
【第42回リハビリテーション医学会学術総会、金沢、2005年6月】

高岡滋: ベル麻痺に対する穴位注射療法.【第57回日本東洋医学会学術総会、大阪、2006年6月】

ページトップへ戻る
共通診断書
 
・共通診断書作成にあたって PDF WORD
・水俣病に関する診断書作成手順 PDF WORD
・二点識別覚閾値の正常値に関して PDF WORD
・診断書 PDF WORD
ページトップへ戻る
   
Copyright (c) kyouritsu-cl.com. All rights reserved.